断酒509日目です。

順調です。


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学生の頃は、

アルバイトばかりしてました。


喫茶店はもちろん、居酒屋や、

(ウエイターも中の人も)

文房具屋、本屋をやったり、


日通の引越しや、

(朝の5時に仕事をもらいに行って、

 あぶれると一日することがなくなる

 いわゆる日雇いです)


よく交差点でカチカチやってる

交通量調査なんかも

いい稼ぎになりましたね。

(冬は寒くて死にましたが)



またよくわからない小包の配達

(あれは違法だったのかな)


車で走り回って借金の取り立てとか、


後に自殺して亡くなった

某アイドルのファンレター書きとか、


他にもとてもここでは言えないようなことも

何でもやっていました。


きっと50種類くらいのアルバイト

やったと思います。



でも一番長く続けて、

一番面白かったのがテレビ局でした。



その頃、日本には一つしかない

ケーブルTV局で、主に外国人向けの

住宅やホテルなどに配信していました。


ほとんどはCNNなどの中継

ドラマの放送が主体なのですが、


夜7時からは

オリジナルの英語ニュースもやっていて、

その番組のFD(フロアディレクター)

という役目でした。



FDなどとかっこよく言っても、

ほとんど全部一人でこなす雑用係です。


まず、学校が終わるとその足で、

某有名テレビ局(一応ナイショ)に、

その日のニュース原稿や写真をもらいに出かけます。


(毎日久米宏小宮悦子

 リハーサルしてる横を通ります。

 と言うと、バレる。笑)



自分の局に帰ったら

原稿は英訳担当の人に渡し、


写真は私が切って、

フリップボードに貼り付けます。


その頃はまだ、今のようなCGを使った

テロップではありませんでしたから、


アルファベットのレタリングシート

コシコシこすって、


字幕や、世界の天気予報など

全部私が自分で作るのです。



生放送が始まる時間になると、

二人の男女の外国人キャスターを相手に、

ひとりっきりで防音のスタジオに

閉じこもります。


そしてインカムを使って、

制御ルームのディレクターのお姉さんたちと

話をしながら、

2台のカメラを一人で操作するのです。


(倒すと1台1000万円弁償だぞと

 よく脅されていました。


 それでもたまに失敗して、

 ボルトがゆるんで、

 生放送中にカメラが真上

 向いたりしていました)



タイムキーパーも兼任です。


ストップウォッチと壁の時計と

にらめっこしながら、

「5、4…(指3本、2本、1本、キュー)」

と頭出しをするのです。



それからは緊張の、

てんてこ舞いの30分です。


フリップボードを変えたり、

(例えばゴルバチョフ大統領の写真から、

 安倍晋太郎外務大臣へ)


2台のカメラを駆使して、

ツーショットから

一人のキャスターにズームアップしたりと

大忙しの時間が続きます。



そしてやっと番組の終わりには、

カメラの前をわざと横切って、

キャスターに「おつかれさま」

言いに行く役目もあります。



さらにビデオテープはバイク便で

(失敗した部分は急いで編集された後に)

神奈川の某地方局に送られて、


毎日、夜の11時から30分

英語ニュースとして(めでたく)

一般の家庭にも放送されるのです。

(もちろん私の姿も…)



しかも、そのテレビ局には

「ベストヒットUSA」(あの小林克也の)を

収録するスタジオもあったので、


マドンナを間近で見たり、

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの面々と

狭いエレベータに乗り合わせたこともありました。

(やつら異常にでかい!)



他にもウインブルドンの生中継

二ヶ国語放送を深夜まで手伝ったりして、

(当時の同時通訳ときたら…)


おかげで

それはそれは充実した日々を送っていたものです。



あの頃は学生時代、

酒飲んでるヒマなんて

ちっともありませんでしたね。




明日も断酒を続けます。